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アドラー心理学や数学のセンスを感じる曲「天使と悪魔」について語りたい ~ セカオワ ~

音楽を聴くことで、アドラー心理学や数学のコツがつかめたらいいですよね。

今回はそんなテーマで、アドラー心理学や数学のセンスを感じる曲について語りたいと思います。

 

それは私の好きなバンド、SEKAI NO OWARI(以下、セカオワ)の「天使と悪魔」という曲です。

 

セカオワは4人組のバンド。

歌詞やサウンドが私の琴線に触れ、彼らがデビューする前から気になる存在でした。

 

「天使と悪魔」は、ボーカルの深瀬さんが作った曲ですが、私はこの曲を聴いたとき、「なんて深い曲なんだろう!」と感銘を受けました。

そして、聴けば聴くほど、アドラー心理学や数学のエッセンスがあふれていることに気づきました。

 

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最初に、次の歌詞を見てください。

 

 

もし僕が正しくて君らが間違いなら

僕らは戦う運命にあるの?

 

僕らはいつも「答」で戦うけど

2つあって初めて「答」なんだよ

 

 

これは何気ない歌詞に見えて、実は、人間の心理をついている歌詞だと思う。

人はそれぞれ価値観が違う。

アドラー心理学では、人の価値観のことを「私的感覚」といいます。

「私的」というのは「プライベート」と訳します。

 

価値観というと固定的なイメージになるかもしれませんが、私的感覚というと、人によって価値観が違うことがよく分かるので、「私的感覚」というのは、より正確な表現だといえます。

 

そして、アドラー心理学では、「相手の私的感覚を裁いてはいけない」といいます。 相手の私的感覚を裁く行為は、「競合的」な行為だからです。

人がそれぞれ自分の価値観が正しいと思い、相手の私的感覚を「裁く」からこそ、争いが生まれるのです。

 

たとえば、旦那さんが女友達と2人だけで晩ご飯を食べにいったとします。

奥さんの立場からすると、ムッとするかもしれませんね。

 

ただ、もしかしたら、その旦那さんは「異性と2人でご飯を食べに行くのはなんともない」という私的感覚(価値観)なのかもしれません。

 

でも、逆に、奥さんのほうが「結婚しているのに、異性と2人でご飯を食べに行くのはよくない」という私的感覚(価値観)だとしたら、そこで争いが起きます。

 

これは、どちらが正しくて、どちらかが間違っているといっているのではありません。

 

お互いの私的感覚が違う

 

と言っているのです。

 

そして、相手の私的感覚を尊重せずに「裁く」から争いになるのです。

2つあって初めて「答」だと、深瀬さんも歌っている。

 

「天使と悪魔」の歌詞にはこのことがしっかりと表現されているのです。

 

深瀬くんは自分で考えたのだろうか?

本で読んだのだろうか?

 

いずれにしても、人と人の「争い」の本質をついた心理学的な歌詞です。

 

 

次は、歌詞のこの部分です。

 

 

何かを変えるってことは、

自分自身を変えることと、

ほとんど同じなんだよ。

 

「僕ら」が変わるってことは、

「世界」を変えるということと、

ほとんど同じなんだよ。

 

 

アドラー心理学では、相手にばかり求めるのではなくて、

「まず自分から」

変わることを推奨しています。

 

過去は変えられない。

相手を変えるのも難しい。

未来もすぐには変わらない。

 

一番変えられるのは「自分」。

 

それはそうだ。

分かっている。

そうは言うけど、、、

 

自分から変わるのは勇気のいること。

 

だけど、勇気を出して、自分から変わることで、結果的に相手も変わるかもしれない。 それにより環境や状況が変われば、世界が変わる。

 

セカオワの言う通りだ。

 

あなたも何か変えたいことがあるのなら、勇気を出して行動を変えてみませんか。

 

私はこの曲を聴くたびに、とてもアドラー心理学的な曲だと感じる。

 

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そして、この曲からは、深瀬さんの数学的なセンスも感じる。

この曲で、深瀬さんは相反する2つのものを対比させています。

 

天使と悪魔

正義と悪

正解と不正解

 

そして、2つそろって初めて意味がある言っている。

 

2つのものを対応させているだけでなく、両方セットで存在するといっているのです。

 

「悪魔」がいなければ「天使」もいない。

「悪」がなくなれば「正義」もなくなる。

「不正解」がなければ「正解」もない。

 

深いですね。

 

これは陰陽思想の「陰」と「陽」に通じる考え方です。

 

数学でも 「表と裏」、「プラスとマイナス」のように2つのものを対比させる考え方があります。

数学では、「双対」という言葉を使います。

数学では単なる対比ではなく、コインの「裏の裏が表」となるように、その操作を2回くり返すと元に戻るという性質を大事にします。

私は深瀬さんのこの曲を聴くと、数学の「双対」が心に浮かびます。

 

さらにこの曲の最後には、次のように歌っています。

 

 

否定を否定するという僕の最大の矛盾は

僕の言葉  全てデタラメ だってことになんのかな?

 

 

否定の否定という言葉が印象的ですね。

私が高校生の時、国語の授業で「否定の否定は強い肯定」と習いました。

だけど、数学的には否定をもう1回否定すると、元に戻るだけだと思う。

これは、国語的な感性と数学的な感性の違いだろうか。

それにしても、とても数学的で興味深い言葉を歌詞にしていますね。

 

これまでみてきたように、セカオワの「天使と悪魔」は心理学や数学のエッセンスがあふれた曲だと思う。

 

これらは深瀬さんの感性なのだろうか?

 

深瀬さんは人生とまっすぐ向き合い、自分自身に正直に生きているような気がする。

 

ちなみに、数学者も、純粋でまっすぐ生きているような気がする。

曲がったことはしたくないというのだろうか。

 

最後にオフィシャルな動画をつけておきますので、ぜひ歌詞をかみしめながら、じっくりと聴いてみてほしい。

とても味わい深い曲です。

 

なお、セカオワはメジャーデビューのときにバンド名を「SEKAI NO OWARI」という表記にしましたが、それまでは「世界の終わり」という表記でした。

「天使と悪魔」はメジャーファーストアルバム『ENTERTAINMENT』に収録されていますが、インディーズのときに作られた楽曲です。

(だから、オフィシャル You Tube の表記も「世界の終わり」となっています)

 

彼らがインディーズの頃、私は四日市に住んでいました。

近鉄百貨店のCDショップで、偶然、彼らのインディーズアルバム『EARTH』を視聴して衝撃を受け、それ以来、気になる存在のバンドになりました。

 

あなたもぜひ、静かな気持ちでセカオワの音楽に耳を傾けてほしい。

でなければ、彼らの繊細でデリケートな「想い」を聞き逃してしまうから。

 


世界の終わり/天使と悪魔

 

 

 ※ セカオワの音楽のレビューの一覧はこちら。

セカオワの音楽のレビューの一覧

 

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執筆者 : 松岡学

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